子どもが生まれてから守るものができ、不安や心配も一層増えたのではないのでしょか?
子どもがお腹の中で宿ってから、無事この子が育ってくれるんだろうか…と嬉しさと不安な中で
お母さんたちは過ごし、この世に生まれてきてくれてからも怒涛の日々の中でさまざまは思いが
出てくるのが子育てなんだな…と私も日々実感しています。
小学校教員としてたくさんの子どもたちを見てきたけれど、「我が子の子育ては全然違う…」
「思ったようにいかない…」と痛感することしかありません。
生まれてから、まだ首が座らないな…寝返りしないな…ハイハイ・つかまり立ち・歩かない…など
同じ月齢の子と勝手に比べてしまうこともありませんでしたか?
私も小さいことでも悩んでいました。言葉が出ない…あの子は上手に歩いている…と知らぬ間に比べてしまい、勝手に不安になり…すぐに携帯で調べる…な日々を過ごしてました。
しんどくなったので、比べることをやめることを意識し、ママ友を一生懸命作ろうとすることもやめました。
私は普段2人の男の子(小2と小4)を育てているんですが、長男の時より次男の時の方が色々なことをやめることでだいぶ楽になりました。
ただ…1人目と2人目の特性が全然違うことに戸惑い…悩みました。
次男は2才ごろからひどい癇癪持ちだったのです。想像を絶しました。
気に入らないことがあると物を投げつける、外出先では奇声を発する。
お兄ちゃんに叩く、蹴る。パパにも暴言…挙げればきりがありません。
4才の頃、癇癪が抑えられなくてとうとうガラスを素足で蹴り、割ってしまいました。
そんな日も大きな声で叱ることもなく、ケガしていないことにホッとすることで
自分もいっぱいいっぱいでした。
こちらにも心の余裕がない日は、感情で叱ってしまうことも多々ありました。
こんな子育ては絶対に良くない…と思っていたので、どんな風に育てていったら良いのか夫婦で何度も何度も話し合いました。
行動とは裏腹にとても繊細な次男。長男よりも周りをよく見ていて、普段はとても優しい。プライドも
すごく高いので、できるだけ声かけに気をつけました。
相変わらず、言葉は汚いですが…(誰も家でそんな言葉を使わないのに…お兄ちゃんも使いません泣)
年齢とともに癇癪は減ってきて、穏やかな日々を過ごせています。
うちの子の持っている特性は大丈夫なのだろうか…と日々悩んでいるお母さんもいるんじゃないでしょうか。家族や友だちに聞いてもらい、共感してもらったり、話すことで発散したりも大切です。
それプラス、園や学校でたくさんの子どもたちと関わっている大人に相談したり、話を聞いてみたり
するのは大事なのではないかと思います。
子どもたちは基本的に家での姿と外での姿は違います。
だからこそ、客観的に見てもらえる人って大事なんですよね。
担任の先生以外に聞くのも大事ですよ。(1人の価値観ってそれぞれ違うので複数に聞くのがオススメです。)
もちろん不安がなくなる時もあれば、やっぱり…となる時もあるでしょう。
でも一歩ふみ出して、子どもが育っていく上で「最善策は何か。」と考えてほしいなと思います。最善策とは、子どもの立場から考えてほしいと思います。
自分の我が子が20歳になった姿を見据えた時に、「自立して自分の足で人生を歩んでいける」と
いう着地点に着くことができれば、小さい時は早い段階からたくさんの人から支えてもらい支援して
もらう方が絶対いいんです。我が子だけ特別なことをしてもらっていじめられないかな…という
心配もあるかもしれませんが、今の時代そんなことを言う子や大人が時代遅れなんです。
もしかしたら20歳になった我が子は、意地悪してきた子より自己肯定感が高く、立派になっていることだってあるんですから。
元小学校教員の立場から言えることは、小さいうちの方が支援が手厚いんですよね。
こども園(保育園・幼稚園)→小学校→中学校→高校と上がっていけばいくほど、支援の手が薄まっていきます。(だんだん高校にも支援に対する研修がたくさん行われるようになってきていますが、ほぼ支援がないのが現実です。)
実際にきっと支援が必要だな…と思う子がいても、保護者の方が理解を示してくれないと動けないし、人もつけれない…(常に人手不足です。)
そんな中で毎日を窮屈に過ごしている子だってたくさんいます。
だからこそ、小さいうちに自分の苦手を見つけてあげて、どんな風に補っていけるか一緒に考えていけるのかも、保護者の役目なのではないかなぁ…と日々思っています。
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